「日中関係」の未来に望むもの
梅原 猛 「潮」07・9月号靖国神社は国家崇拝の宗教だった2その靖国神社に関して言えば、私は日本古来の神道ではなく、新しい神道だったと思っている。先に述べた「廃仏毀釈」の結果、日本の伝統的な仏教や神道を殺してしまい、その空白に「国家」を据えて神様にした。いわば植民地時代のヨーロッパの国家主義が、神道の顔をかぶって日本に現れたともいえよう。私自身も太平洋戦争末期には、特攻隊を養成する学校である特別甲種幹部候補生を志願した。口頭試問で戦闘機の名前をいえなかったために不合格になったわけだが、合格していたなら特攻隊の一員として戦死し、靖国神社に祀られていたかもしれない。だから、戦死した人々への哀悼の念は人一倍もっている。だが、東条英機をはじめ多くの軍国主義者、A級戦犯の祀られている靖国神社に、どうしても参拝する気になれない。また同じ日本人でも、広島や長崎の原爆犠牲者や、空襲で命を落とした人など民間の戦争犠牲者も祀られていない。太平洋戦争は三〇〇万人以上の日本人をしに至らしめただけでなく、その十倍ものアジア人を殺している。その戦争指導者が祀られている神社へ、一国の首相が参拝するとなれば、被害を受けた国の人々はどう思うだろうか。日本の首相たる者は、アジアの平和を命を賭けてでも守るという強い精神を持ってもらいたい。そうすれば、日本の民衆はおのずからその人を支持するだろう。(つづく)