<洗う>文化史
<洗う>文化史国立歴史民俗博物語、花王株式会社 編 清潔に伏在する差別と排除東京大学教授 菅 豊 評 新型コロナウイルス感染症は、現代人の清潔感を大きく変容させた。通勤電車のつり革やエレベーターのボタン、ATMの画面など、これまで何げなく触れていたものが、何か特別なものに感じられる。とくに潔癖症でなくとも、それらに触れることは躊躇される。もし仕方なく触れてしまったら、手を洗うために近くの洗面所へ駆け込むしかない。しかし手を洗う水道の蛇口のレバーだって、ウイルスに汚染されているかもしれない……。物理的にきれいに洗浄しても、必ずしも心理的に清潔と感じられるわけではない。目に見えないウイルスが身近に迫りくるなか、戦場と清潔とをめぐって世界中の人びとは疑心暗鬼になっている。本書は、「洗浄という行為」と「洗浄という感覚」に関する古代から現在までの歴史を、総合的に理解したタイムリーなプロジェクトの成果論集である。そのプロジェクトは、洗剤やトイレタリーの日本有数の企業でもある花王と、国の研究機関である国立歴史民俗博物館という異色の産学コンビによって行われた。それは古代文献に見える「洗う」という言葉の字義に始まり、埃まみれの江戸で清潔と洗浄を巡って苦闘していた勤番武士、さらに近代における地方の入浴の実態や虫歯予防と歯磨き習慣の形成と普及など、時代を超えた興味深い話題を取り扱っている。評者がとくに示唆を受けたのが、帝国日本の清潔と清潔感について考究した論考である。浴槽の湯につかる入浴習慣が日本から朝鮮などの植民地に広がるとともに、「風呂好き=清潔=文明的・近代的」という偏見が朝鮮人を差別し排除する根拠となった。一方で、その感覚が民族的な劣等感として朝鮮人の内面に深く入り込んで、蔑視や差別から脱するために日本人よりも清潔であろうとする民族的強迫観念が形成された。コロナ禍のいま、私たちを取り巻く洗浄と清潔の背後にも、差別と排除、そして強迫観念が伏在していることに、私たちはもっと敏感であらねばならない。◇国立歴史民俗博物館 千葉県佐倉市城内町にある日本の考古学・歴史・民俗について総合的に研究・展示する博物館。通称、歴博。花王株式会社 日本の洗剤・化粧品の消費財化学メーカー。 【読書】公明新聞2022.5.2