新型コロナ対策と後藤新平の防疫政策
明治大学名誉教授 青山 佾(やすし) 関東大震災の復興で知られる元東京市長・後藤新平は、日清戦争後、中国大陸から戻って来る数十万の凱旋兵の免疫を徹底して行ったことで知られている。このとき作成された「陸軍検疫部報告書」は英文も作成され、世界各国に寄贈された。 ドイツ皇帝が、それを読んで「世界には戦勝国はたくさんあるが検疫をきちんとやった国はほかにない」と激賞したという話が残っている。後藤新平の時代、日本は防疫の先進国とされたのである。 後藤はこの後、台湾の民政長官として赴任した。当時、台湾では毎年のように数千人のコレラが発生していたほか、各種の疫病が蔓延していて日本から赴任した人々も次々に倒れ、日本に送り返されていた。 後藤は「伝染病の予防は上下水道の設置から始まる」と言って、自分が台湾産業振興のために敷設(ふせつ)した道路ネットワークも活用して、上下水道の整備を進めた。 台湾では「当時、下水溝(こう)の装置は台湾の如き理想的なものは少ない。これは後藤民生長官の発案による」とされている。私たちは今日、台湾各地の博物館で容易に後藤新平の顔写真や銅像とともに、これらも功績を知ることができる。 疫病は病気の治療とか公衆衛生の範囲を超えて、国家的危機管理の対象である。世の中では想定を超える事象が発生し、また、自然の猛威に対して私たちの文明はまだ不十分なものであるという認識から、危機管理という方法が発達した。 危機管理は、実社会では予測し難い事故や事件が発生するという謙虚な姿勢を前提として、それに備えるため、過去の失敗を教訓として蓄積するところから出発する。この原点に返ることが大切だと思う。 後藤新平の防疫対策は、初期における防疫対策としての水際作戦、そして、その全段階におけるインフラ整備の両面において優れていて、こんにちの防衛対策の基本を押さえている。 私たちはおよそ100年前の知恵に学ぶべきだと思う。 【ニュースな視点】公明新聞2020.3.30