奥底の「心」が一切を決める
幸・不幸、成仏・不成仏、また仏界の方向へ行くのか、苦悩の境涯へ向かうのか――すべては、わが一心の妙用であり、厳しき結果である。この一事は、どれほど強調しても、しすぎることはない。宇宙にも心法すなわち「心」がある。自身にも「心」がある。自身の信心の「心」が、宇宙にも通じていく。まことに心は不可思議なる働きがある。わがままな心、愚痴と文句の心、要領主義の心、慢心、増上慢の心などは、自他ともの不幸の因である。それだけにとらわれてしまっては、飛行機が濃霧の中をさまようようなものである。何ひとつ定かには見えない。善悪の基準がわからなくなる。自身のみならず、乗客というべき眷属も不幸に堕としてしまう。また「慢」の心とは、たとえていえば、暴れ馬が止まらないで狂ったかのように、心がグルグルと駆けまわっていて、自分で自分がわからなくなっているようなものだ。そばにいる人たちも、けとばされてしまう。要するに、人間として正常ではない。また、自分が思っているのとは正反対に、少しも偉くはない。それどころか、慢心とか増上慢の人は、仏法上、一番危険な人物である。反対に、友を思う真心、主義主張に生きる信念の心、広布への使命を果たそうと闘う責任の心、仏子を守り、尽くしていこうとする心、感謝と報恩と歓喜の心は、自身のみならず、一家も一族も、子孫末代まで、無限の福徳を開いていく、諸天善神が守りに守っていく。まっすぐに成仏への軌道を進めてくれる。ゆえに「心こそ大切なれ」との仰せを、強く深く胸に刻んでの一生であっていただきたい。【各部代表者会1998.2.25東京】大白蓮華2015年2月号