「私が体験から学んだこと」高山直子
8. 疑わざるを信という。何があっても疑わない、信じ抜く強さ、これが信心だ。その信心に題目を唱えるという行力があってはじめて仏力、法力があらわれるんだ。 取引というのは信心ではないから信力はゼロだ。 ゼロ掛ける一〇〇はゼロ、ゼロ掛ける一億もゼロだといわれました。「そうか。信心とは、そういうものだったのか。医者がちょっといったぐらいで、ぐらっとするような、そういうすぐ疑いをおこす取引のような信心をしていたらだめなんだ」と思いました。 その先輩は、「高山君の今の心境は、取引と思っているから、やい、ご本尊、百万遍、毎日おがんでいるのに約束の品物が届かないじゃないの、といっているのと一緒なんだ」といわれました。「そうか、信心とは信じることなんだな」と思って、また信心を続けました。(つづく)