読み取れた横溝正史の創作意欲
軽井沢で新資料を発見――読み取れた横溝正史の創作意欲二松学舎大学教授 山口 直孝名探偵金田一耕助シリーズで知られる探偵小説家・横溝正史(一九〇二~一九八一年)の新たな資料が見つかった。次女の童話作家・野本瑠美氏から連絡をいただいたのは、昨年秋のこと。軽井沢の別荘にあったものという。千枚を超える自筆原稿を最初に目にした時、まずのその量に圧倒された。ご厚意で史料は「二松学舎大学にご寄贈いただいた。二松は、横溝正史の一大コレクションを所有しているが、今回さらに充実させることができたのはありがたい。成城(東京・世田谷区)の自宅以外でまとまった資料が出てきたことは初めてであり、没後四十年を経て発見されたことにも驚かされる。大切に受け継がれてきた資料には、家族の思いも詰まっている。正史は、一九五八年に軽井沢を訪れて気に入り、翌年別荘を構えた。喘息の次女の転地療養が当初の目的であった。以降毎年夏を過ごすのがならわしとなる。資料には筆記具やゴム製の住所印なども含まれていた。軽井沢が成城に次いで重要な執筆の拠点であったことを、それらは伝える。資料の中心をなすのは、草稿であり、ノート、メモ、墨書なども含まれる。金田一ものの『仮面舞踏会』(六六〇枚)、『死仮面』(四四九枚)、人形作七捕物帖の『お化祝言』(一一七枚)が主なものであり、一九六〇年代後半以降に書かれたと推定される。当時正史は、新作を全く発表していなかった。『本陣殺人事件』(四六年)以来、秀作を次々と世に問い、探偵小説界を先導してきた正史であるが、松本清張ら社会派の台頭によって注文が激減し、『夜の黒豹』(六四年)を最後に沈黙してしまう。七〇年代後半、角川文庫の細管によりリバイバルブームが起きるまで、正史は忘れられた作家だった。今回の資料は、沈黙機関も正史が意欲的に創作に取り組んでいたことを示している。 沈黙期も続けた執筆と推敲探偵小説への「愛情」随所に 正史は、『人形作七捕物帳全集』(講談社)用に旧作に手を入れるかたわら、新作の執筆を続けていた。『仮面舞踏会』は、軽井沢を舞台とした長編である。四度の離婚歴を持つ大女優の元夫が連続して変死を遂げる事件が扱われている。一九五五年に単行本の官公が予告されるが実現せず、六二年からの雑誌連載も途中で休止となった。完成するのは七四年、複雑な人間関係が織りなす物語を装った形にするには、長い時間を必要とした。三番目の元夫が殺害され、依頼を受けた金田一は警察と協力しながら捜査を進めていく。二日間のできごとに千中生後の歴史を集約させた『仮面舞踏会』は、新境地をひらいた意欲作である。再開発の進む軽井沢の変化が細やかに描き出されているところに、現地で執筆された成果を見ることができる。原稿は、雑誌連載を改稿した版である。登場人物の別荘所在地や警察官の人物像などが手直しされ、六〇〇枚に近づくあたりからまったく独自の展開となる。完成版の文章はまた異なっており、正史が何度も推敲していたことが分かる。長篇を最初から書き改めることを厭わない姿勢には驚かされる。旧作『死仮面』(四九年)の加筆修正を試みたり、『悪霊島』(八〇年)の創作ノートを作ったりするなど、最後まで情熱は衰えなかった。墨書「論理の骨格にロマンの肉附けをし愛情の衣を着せませう」は、正史が好んで記したオリジナルの言葉。ストーリーテラーであり、巧みな伏線を貼る名手でもあった作家の特徴がよくとらえられている。改稿の軌跡からは、さらに完成度を高めようとする意志が読み取られた。今回の資料は、それ自体が探偵小説に対する正史の「愛情」を表すものであろう。(やまぐち・ただよし) 【文化】公明新聞2,022.8.21