叔母の桜
文芸評論家 持田 叙子試験の答案を採点していて、あれっと思うことがある。授業中ねっしんに聞いて、いい発言をする。そんな学生にかぎって、答案が余りよくない。記述式も量を書かないうちに、あきらめてしまう。たぶん深読みしすぎるのだ。まじめに何を書こうかと立ち往生してしまう。適当にごまかす術(すべ)を知らないのだろう。才華が成績に反映されないで、苦労する。しかし、大きく化けるのも、こんな人だ。民俗学者で詩人でもある天才、折口信夫もそうした中学生だった。十五歳で、万葉集も古事記も深く読み込んでいた。先生からも友人からも一目置かれていた。それなのに卒業試験で数学と物理に欠点をとり、一年留年することになってしまった。学校が好きで、学問が大好きな少年だったから、ショックは激しかった。信夫少年には叔母さんがいた。若いときには女医になろうと大阪から東京の医学校へ入った才女だった。えい叔母さん、と信夫は呼んで慕った。えいは大ぜいの甥や姪の中でとりわけ信夫を愛した。落第でしょげる信夫を桜の旅に連れだした。まずは、境内が花で埋まる奈良・二上山のふもとの当麻寺(たいまでら)。ここは芭蕉も訪れている。それから吉野の山々へ。西行の歌を愛する叔母と甥は、吉野をいろどる花のいのちに感激した。この旅で信夫はどうにか危機を脱し、こらえて中学三年をやり直した。いい話だと思う。最高の叔母さんだと思う。つらい時は、この世の美しいものに救われることがある。それを知っている人だ。のちの折口信夫の大著『古代研究』の巻頭には、「この書物は、大阪木津なる、折口えい子刀自に」捧げたい、とのことばが記されている。【言葉の遠近法】公明新聞2018.3.7