人を嫌う前に、まずあなたがなすべきこと
私は悪口集団の家庭に育った。父は口を開けば人の悪口を言っていた。親戚の偉い人から、新聞に出る偉い人に対してまで、のべつくまなく悪口を言っていた。それが私の性格をずいぶん歪めたと思う。楽しいことを話すことが、こんなに素晴らしいことかと知ったのはもう三十歳をすぎてからである。 本当は、親というのは子供の前で楽しい話をしてあげるものである。それが子供の心理的成長にとって、どれほど助けになるかわからない。そしてそれは、それ以後の子供の人生の財産である。 子供の人生で、お金を与えるよりも、楽しい話をしてあげることのほうがどれくらい大切なことであるかわからない。子供の頃に楽しい話をしてあげる親は、悪口ばかり言って遺産を残す親よりも、子供に人生の財産を残したことになる。だからこそ、お金持ちの子供が幸せな人生を送るとは限らないのである。 子供と一緒に悪口を言う親がいる。あるいは子供が親の悪口に同意して「そうだそうだ」とうなずかないと不機嫌になる親もいる。 悪口を言って、それでどうなるというものではない。でも悪口を言わないではいられない。 “Everyone out there is a potential Grand Inquisitor, even mothers” この文章はジンバルドーの文章である。恥ずかしがりやの人にとっては、誰でもが潜在的に宗教裁判長である、とジンバルドーは言う。母親でさえ、裁判官であるという。 これでは生きていてたまらない。生きていて楽しくない。自分は、皆から、母親からでさえも裁かれる身なのである。誰も自分を守ってくれない。この感覚は小さな子供にとってはたまらない。この世に生きることが怖くなって当たり前である。おびえるのが当たり前である。 恥ずかしがりやの人は悪口を恐れる。皆から悪口を言われるのではないかと不安になる。それは、自分がいつも人の悪口を言っているからである。 つまり、恥ずかしがりやの人は母親でさえも心の底で悪く思っているということでもある。 人の悪口を言うときに、非難というより悪口と表現したほうがよいことがある。 あいつはお金ばかり欲しがっていると悪口を言う人は、その人自身が、お金ばかり欲しがっているのである。悪口を言うのは相手が自分と同じことをしているからである。 だから、悪口ばかり言う人には反省がない。自分の非は認めなくない。だから自分の非と同じ非を持っている人の悪口を言うのである。 しかし、このような人は努力が無駄になる。先に書いたように、悪口言っている人からは幸運が逃げていくからである。人の悪口ばかり言う人は狭い世界で生きることになる。 【感情を出したほうが好かれる】加藤諦三著/三笠書房