食卓から世界の危機を考えよう
食卓から世界の危機を考えよう国連食糧農業機関(FAO)駐日連絡事務所長 日比 絵里子さん 漁村なのにツナ缶を食べる――日比さんは一昨年、FAOの駐日連絡事務所の所長に就任しました。長年、国連に勤めておられますが、日本での仕事は、約25年ぶりですね。 赴任しているサモア(南太平洋の島国)から帰国して、驚いたことがあります。それは日本の八百屋さんの光景です。いろいろな種類の、おいしい野菜や果物が、比較的安い価格で、安定的に手に入る。まさに日本の「食の豊かさ」の象徴です。しかし市場経済が未発達だったり、さまざまな理由で、たとえ自国で産出されたとしても新鮮な食材が手に入らない国もあります。ある島しょ国の漁村の住民は、「自分が海で取る魚は食べない」と語っていました。目の前の美しい海で釣った魚は食べず、市場で売ってお金にする。そして、そのお金で、海外製品の「ツナ缶」を買って食べている、と言うのです。ほかにも、島で収穫されたマンゴーの市場価格が、私がニューヨークで買ったマンゴーより高かったこともありました。ちなみに、太平洋の島しょ国は「肥満体国」としても知られています。ランチは、安価な輸入製品のパンやカップラーメンで済ませる、という人も多い。栄養の偏った食生活が肥満の要因になっています。サプライチェーン(製品の原材料の調達から、製造、発そう、販売までの一連の流れ)のあり方、国際市場のあり方というものを、非常に考えさせられました。 ――FAOの一番の役割は何でしょうか。国連世界食糧計画(WFP)との違いも教えてください。 WFPは、緊急時の「人道支援」に重さを置いています。一方、FAOの仕事は、世界中長期的な「食料安全保障」のシステムの構築です。例えば、FAOでは、食料、農林水産に関する国際基準を設定したり、そのための意見交換の場を設けたりしています。食品の安全基準や、植物に着いた病害虫に関する「国際植物防疫条約」などの策定も、私たちの役割です。常に、さまざまな関連データを各国から集めて、政策提言に生かしています。私たちも緊急時には人道支援を行いますが、一番の焦点となるのは、「現地の人びとが、どうすれば食料生産を続けられるか」ということです。 羊を巡るプロジェクト――日比さんは、2013年から紛争下のシリア事務所の所長を経験されました。どのような支援を行っていたのでしょうか。 紛争下でも現地の食糧生産・供給を続ける支援です。シリア北東部にデリゾールという年があります。当時、ここは政府の支配地域でしたが、まわりは過激派組織「イスラム国」に包囲され、孤島のような形で食料不足に陥っていました。そこで私たちが決行したのが、羊を巡るプロジェクトでした。都市の周辺に暮らす遊牧民と交渉し、生きた羊の群れをデリゾールに送り届けたのです。ある夜には、遊牧民たちが、「メ―メー」と鳴く羊をイカダに乗せ、ユーフラテス川を渡りました。私は主とダマスカスの事務所で指揮をとっていたのですが、大雨で川が増水し、輸送体が足止めを食っている、との電話が入り、心配でした。無事に羊は届けられ、現地では、羊のミルクやチーズが大切な栄養源となりました。飼料が底をつき、食用のお肉になってしまった羊もいると聞きましたが。ほかにも、反政府勢力が支配する地域で孤立する母子家庭に「めんどり」を届ける、というプロジェクトも行いました。めんどりの卵は、食料だけでなく、収入源にもなります。こうした紛争下での支援は、非常に難しい交渉が求められます。誰が「受益者」になるのか。政府側、反政府側、さらに国外の支援者の意向も調整しながら、どこまでも「中立」の立場で人道支援を進める必要があるのです。 ――こうした紛争の問題に加えて、新型コロナウイルスの感染拡大は、世界各地の食糧危機を深刻化させています。 コロナ禍の2020年の飢餓人口は、2019年と比べて最大1億6100万人も増えたといわれています。危機的な状況です。飢餓の主な要因として挙げられるのが、「紛争」「気候変動などの環境問題」、そして「経済ショックや経済停滞」です。新型コロナは、どのように飢餓に拍車をかけたのか。まず世界的な感染拡大が始まった当初、食料の輸出規制を行った国がありました。自国の食料を守るためです。食料生産の停滞に加え、輸出規制により食料が市場に出回らなくなり、価格も高騰しました。さらに、1929年からの大恐慌を超えるともいわれる世界経済の打撃により、経済格差はさらに広がり、貧困層が増加しました。結果、多くの人が「食べ物を買えない」という状況になったのです。ここでもう一点、コロナ禍の中で、「以前よりも安い食品を買う人が増えている」ということも見落とせません。栄養が偏らない健康的な食事は、単にカロリーを満たすだけのような食事の約5倍の値段がかかります。世界では今、実に30億人を超える人々が健康的な食事をする余裕がない、ともいわれています。さまざまな「栄養不良」の人々が増えているのは確実です。日本もひとごとではありません。 ――コロナ禍に追い打ちをかけるように、ウクライナ危機が発生しました。 FAOは、今年3月の世界食糧価格指数が「159.7」になったと発表しました。(2014~16年=100)過去最高だった前月から18.6ポイント上昇し、2ヶ月連続で最高値を更新しました。これはウクライナ危機により、穀物や植物油の価格が高騰したのが要因です。ご存じの通り、ロシアとウクライナは農産物の主要生産国です。事実、中東やアフリカなどの26カ国が、輸入小麦の50%以上を両国に依存しています。多くが発展途上国です。既に貧困、気候変動や紛争で影響を受けている国の人々が、小麦の価格高騰により、さらに被害を受けることを非常に危惧しています。 紛争、貧困、食糧問題全てはつながっている 日本が誇る「農業遺産」 ――創価学会には「農漁光部」というグループがあり、持続可能な農業・漁業のあり方を模索し、奮闘するメンバーが多くいます。日本の農業文化は、どのように世界に貢献できるとお考えでしょうか。 1960年代に「緑の革命」が起き、穀物の品種改良などによる「大量生産」で、発展途上国の飢餓を撲滅する大きな流れが生まれました。一方、それは同時に土壌汚染や水の枯渇、生物多様性の喪失など、さまざまな問題を生み出しました。長年、「食料1,003」と「環境保全」は両立できないと思われてきたのです。しかし、2000年代から、「時代遅れ」「非効率」とされてきた伝統的な農業生産の中に、実は、私たちが直面する課題の「解決策」があるのではないか、という考えが強くなっていきました。そうした中、2002年に「世界農業遺産」の概念が誕生しました。生物の多様性を守り、環境に適応しながら、何世代も受け継がれてきた伝統的な農業文化が根付く地域を、大切な遺産として指定しています。現在、22カ国62地域から登録されており、そのうち11の地域が日本にあります。昨年9月、「国連食料システムサミット」がオンラインで開催されたのですが、ここでは、環境、生産、消費に至る一連の要素を「一つのシステム」と見ていくことがテーマとなりました。環境も、生態系も守りながら、いかに食糧生産を続けていくか。つまり、「2者択一」を脱却するようなパラダイムシフト(基本軸の転換)が目標となったのです。日本の農業に伝わる伝統的な知見は、守るだけではなく、生かしていく必要があります。多くの世界農業遺産を擁する日本が、世界に声を発信する意義は大きいと思っています。 食べ物がたどってきた道 ――日本で『飢餓』と聞いても、なかなか実感がわかないことも多いかと思います。私たちにできることは何でしょうか。 よく私は日本人の方に、「今、自分が食べているものは、どこから来たのだろうと考えてみてください」と語っています。まず、国産化外国産か。更に、それがどのように生産され、それがどんな資源やエネルギーを消費し、手元に届いているのか――。例えば、ある国の森林を伐採して農地となった所で、貴重な水資源を利用して生産されたものが、二酸化炭素を排出する船に乗って日本にやってきた、ということもありえます。生産過程には、児童労働などの問題も絡んでいるかもしれません。このように、食べ物がたどってきた道を「知る」ことから、食料問題を解決する扉が開いていくはずです。日々の食卓から、世界の危機に思いをはせてみてほしいのです。食糧問題は「対岸の火事」ではなく「自分たちの火事」です。私たちが暮らす「一つの地球」のために、どう貢献できるか。それを考えながら生きることが大切だと思います。日本には多様な「豊かさ」がある。国民の教育水準も高く、人々の世界への関心も低くはありません。国として大きな可能性を持っています。そういう豊かな国に生まれた私たちだからこそ、飢餓や貧困の撲滅、そして「SDGs」の達成へ、共に行動を起こしていこうではありませんか。 【SDGs×SEIKYOインタビュー 飢餓をゼロに】聖教新聞2022.5.13