神社不参は最後の砦
魯人に学ぶ 暑い夏、また八・一五がやってくる。かまびすしい靖国神社をめぐる議論もくりかえされよう。この問題のなかで、保守派の人々(つまり力の信望者)が盛んに主張しているのが、人は死んだら仏様になる。国のために死んだら神様になる。死んだ人の罪を云云するのは間違っているという論点であった。 誰もこのことにメスを入れようとしないが、ここにこそ靖国論、神社論の心臓部があるのではないかと思う。つまり、ここにおいて、すべての思考がストップし、「神」とは何か、「英霊」とは何かについての突っ込んだ議論がなされることがない。それはなぜであろうか。 なぜか、そこは触れてはならない聖域であるかのようになっている。そこで「そんなものは存在しない」といえば、「不敬」の一語で政治的、社会的に抹殺されかねないムードさえある。否、「不敬」の一語で抹殺され、獄死させられたのが、我が牧口常三郎であった。牧口常三郎に着せられた罪名は「不敬罪」であった。 じつは、ここを切り拓いていく糸口は仏教の側にある。「死んだら神になる」という思想は「死んだら仏になる」という思想に基礎づけられている。今日の神社神道は決して日本古来、日本固有のものではない。神道理論は、中世になって堕落した仏教、つまり本覚思想によって組み立てられたものである。だから、仏教の姿勢、仏教の理論を正していくことで、接木のような神道の実態が明らかになる。 「死んだら仏になる」などということは、釈尊の説ではないことは、少し仏教を学んだ人なら周知のはずである。象徴的な言い方をすれば、仏とは目覚めた人のことであっても、眠りについた人のことではなかった。 「仏さん」とは何か、それを問えば、すべてが明らかになる。問うことを許さず、思考を停止させられることによって、従順な、権力に都合のよい人格に仕立て上げられていく。「仏」とは何かを明らかにすれば、自然、「神」とは何かも明らかになる。「神」とは「仏」の作用、大宇宙に遍満する「法」のひとつの作用であった。 そういう意味から、「靖国の神」といっても具体的な実はない。観念上の存在にすぎないというしかない。本当に国家のため、社会のために死んだ人を顕彰したいというのであれば、あのような法律体系の外に作った神社(宗教法人はカムフラージュにすぎない)に祀ることではなく、わが信ずる御本尊にしんしんとお 題目を挙げることに尽きてしまう。 もし、社会として、戦没者を弔う場がほしいというのであれば、あのような国家神道ずれした神社にするのではなく、大きな塚を築いて、そこで、それぞれの人が、それぞれの信ずる化儀と信教によって祈ればよいことであろう。それが、神社より遥かに古い古代より今日まで続いている日本古来の祭祀のあり方である。 だから、神社不参は自らが仏教者である自己証明なのだ。ここをいい加減にしてしまうと、仏教はなし崩しに崩されてしまうし、いつしか権力に従順なしもべに仕立てられてしまう。元来、神社不参の最大の旗頭は、弱小の富士門徒ではなく、大勢力を誇った真宗門徒であった。彼らこそ強い社会的な力を持っていた。その信念に生きた人々であった。 その真宗門徒に力が無くなったのは、織田信長の武力でも、徳川幕府の政策でもなかった。明治政府が天皇制教育の一環として国家神道を作り上げ、神社参拝を強制したことによるのである。かくして宗祖親鸞以来、神社不参を掲げてきた真宗はその門徒大衆を強い兵隊さんに仕立て上げ、保守政権の従順な基盤に作り変えられてしまったのだ。 いまや、神社不参を貫くのは、いったい誰であるのか。最後の牙城はどこにあるのか。心もとないものがある。「もはや神社は習俗にすぎないから、神社に行ってもいいのだ。」「神輿を担いでもいいのだ。」などと言い出す変な連中も現われた。 もし、それが習俗に過ぎないというなら、日蓮・日興の昔から神社は習俗に過ぎなかった。彼らの説はそのまま、日向に教唆されて、神社参拝をおこなった波木井実長を思い起させる。私たちは波木井実長の末流なのか。富士日興の末流なのか。自らにそれを問うべきであろう。 ゆめゆめ、権力に従順なしもべに仕立てられてはならない。 神社不参は、権力への「最後の砦」なのだと私は思っている。(「からぐらの風 28」より転載)2007.8.6受信分