「自分の責任だ」と思えば、知恵が湧く
何事も人に頼ると、どうしても不安になる。依存と攻撃については、多くの人が指摘するところであり、誰もが納得するだろう。依存と敵意についても、同じようなことである。また、不安と敵意もロロ・メイが言うごとく関係している。不安と敵意と依存の三つは、深くかかわり合っている。しかし、その中心は、やはり依存である。自分の健康でも、誰かに頼ると、不安になる。自分は老後に病気にならないだろうか、自分の健康はこれから先、大丈夫だろうか、いろいろと健康についても不安になる。しかし、自分の健康は自分で守るという姿勢になったときに、それらの不安は消える。◇「自分の人生は自分の責任である」という姿勢が不安をしずめる。しずめないもでも多少は効果がある。自分の健康は自分の責任であるという姿勢になると、「こうすれば健康になるのではないか」とか、「これが自分の健康を害しているのではないか」とか、いろいろな視点から自分の健康を考えられる。自分の健康を人任せにしたら、自分の健康をいろいろな視点から考えられない。それと同じで、「最終的には自分の人生は自分の責任だ」と思ったときには、いろいろと知恵が湧く。自分の人生をいろいろな視点から捉えるようになる。人任せのときは、なんとなく人に迎合する。その人に気に入られたからといって、どういうことはないのに、気に入られようと無理をする。無理をして我慢をして、心身ともに消耗する。人によっては燃え尽きるまで頑張る。最もひどくなればうつ病になるまで頑張る。なぜそこまで迎合するのか?おそらく心の底のそのまた底のほうでは、周囲の人が自分を幸せにしてくれることを期待しているからかもしれない。しかし、「自分の人生は自分の責任」と覚悟を決めたときは、その甘えはなくなる。失礼な人に対して、「別に、この人は自分の幸せに責任をもってくれるわけではない。それなのにそんなに無理をして好かれることはない」と思えてくる。自分が無理なくできることをして嫌われるなら、嫌われたってしょうがないと思えてくる。少なくとも、「自分の人生は自分の責任」と覚悟を決めると、ずるい人に対しては強くなる。 【不安のしずめ方】加藤諦三著/PHP文庫