在世は今にあり今は在世なり
今年はチャプリン没後40年。「喜劇王」は完璧主義者であったことでも知られる。ヒトラーを痛烈に皮肉った名作「独裁者」のラスト、演説シーンには1000ページもの草稿類が現存するという。もとの脚本では、チャプリン扮する「理髪師」が、ラジオを通じ各国に平和を訴える。すると、ドイツ軍は行進をやめ、スペインでは敵味方が抱き合う――。演説と、各国の様子が交互に描かれていた。しかし、チャプリンは推敲を重ねる中で原案を捨てた。演説のみにし“聞く側”を登場させなかった。日本チャップリン協会の大野裕之会長は、この演出について、聴衆とは「映画を見ている私たち」と分析する。そして、「私たち」が「登場人物として現実で行動を起こす」ことで、同作は映画の枠を超え、いつの世にも人々に開かれていくと(『チャップリン 作品とその生涯』中公文庫)。日蓮大聖人は、法華経に説かれる不軽菩薩に御自身の闘争を重ね、「在世は今にあり今は在世なり」(御書916ページ)と記された。仏典が描くのは「今」「ここで」起きている出来事にほかならないと。御書を拝するのは、私たちが「今」「ここから」自他共の幸福へ行動を起こすためだ。その時、日蓮仏法は生きた哲学として脈動を始める。 【名字の言】聖教新聞2017.5.6