花火の音から思う人の営み
演出家/鳥の劇場芸術監督 中島諒人(まこと) 夏は花火大会の季節。火の花が空に描く美しさ、一瞬で消えるはかなさ。芥川龍之介の小説「舞踏会」の一節、仏人将校の言葉、「我々の生(ヴイ)のやうな花火」。色とりどりのまばゆい閃光に遅れて、どーんという音が響く。遠くで聴くとそうでもないが、近くでは地響きまでして、不意に恐ろしさが湧く。戦争を体験した人には、爆弾の音と重なるらしい。子どもの時は思いもしなかったが、戦争体験が生々しかった時代、平和の象徴のような花火大会の音に、恐怖をよみがえらせた人がどれほどいたのだろう。報道で見聞きする海外の戦場。銃声は爆竹のようであり、爆弾の音は花火のよう。みなが愛する美しい花火と人を殺す爆弾。音でつながる文明の功と罪。芥川の小説の言葉は、人生の一瞬であることを語っている。爆弾との連想で花火を見ると、戦争で散った多くの命を思わせる。過去に起きたこと、他人の体に起きたことを、どれだけ自分の体に引き受けることができるか。テクノロジーの発展や社会の安定は、みなが願う好ましいこと。けれど、結果として過去の体験の共有や継承を阻んではいないだろうか。過去の世代から受け継ぐ者の多さが、人間の発展を支えた。物や情報だけでなく、体験や記憶を受け継ぐことは、人間が人間であることの拠り所だ。共同体の発展という意味で、今我々は分かれ道に立っているかもしれない 【すなどけい】公明新聞2014.8,22