重要なのは「学び方」を学ぶこと
師弟関係では、弟子にはこれから就いて学ぶべき師を正しく選択したかどうかについては挙証が求められません。弟子に師を適正に格付けできる能力があらかじめ備わっているはずがないと考えるからです。だから、誰を師としてもよい。そのような乱暴なことが言い切れるのは、一つには、師が何も教えてくれなくても、ひとたび「学び」のメカニズムが起動すれば、弟子の目には師の一挙手一投足のすべてが「叡智の徴」として決まるということです。そのとき、師とともに過ごす全時間が弟子にとってはエンドレスの学びの時間になる。(略)張良という劉邦の股肱の臣として漢の建国に功績のあった武人です。秦の始皇帝の暗殺に失敗して亡命中に、黄石公という老人に出会い、太公望の兵法を教授してもらうことになります。ところが、老人は何も教えてくれない。ある日、路上で出あうと、馬上の黄石公が左足に履いていた沓(くつ)を落とす。「いかに張良、あの沓とって履かせよ」と言われて張良はしぶしぶ沓を拾って履かせる。また別の日に路上で出あう。今度は両足の沓をばらばらと落とす。「取って履かせよ」と言われて、張良またもむっとするのですが、沓を拾って履かせた瞬間に「心解けて」兵法奥義を会得する、というお話です。それだけ。不思議な話です。けれど、古人はここに学びの原理が凝縮されていると考えました。『張良』の子弟論についてはこれまで何度か書いたことがありますけれども、もう一度おさらいをさせてください。教訓を一言でいえば、師が弟子に教えるのは「コンテンツ」ではなくて「マナー」だということです。張良は黄石公に二度会います。黄石公は一度目は左の沓を落とし、二度目は両方の沓を落とす。そのとき、張良はこれを「メッセージ」だと考えました。一度だけなら、ただの偶然かもしれない。でも、二度続いた以上、「これは私に何かを伝えるためのメッセージだ」と普通は考える。そして、張良と黄石公の間には「太公望の兵法の伝授」以外の関係はないのだから、このメッセージは兵法極意にかかわるもの以外にありえない。張良はそう推論します(別に謡本にはそう書いてあるわけではありません。私の想像)。沓を落とすことによって黄石公は私に何か伝えようとしているのか。張良はこう問いを立てました。その瞬間に太公望の兵法極意は会得された。瞬間的に会得できたということは、「兵法の極意」とは修行を重ねてこつこつと習得する類の実体的な技術や知見ではないということです。兵法の奥義とは「あなたはそうすることによって私に何を伝えようとしているのか」と師に向かって問うことそれ自体あった。論理的にはそうなります。「兵法極意」とは学ぶ構えのことである。(略)「何かを」学ぶということは二次的な重要性でしかない。重要なのは「学び方」を学ぶことだからです。【日本辺境論】内田樹著/新潮新書