戦後七〇年 日本の外交
七〇年を経て鮮明になってきたのは、戦後の急速な復興、平和と繁栄が、さまざまなことを曖昧にし続けてきたことである。一つは沖縄の問題であり、もう一つは歴史認識の問題である。戦後五〇年の村山談話や慰安婦についての河野談話が出たものの、問題が残ったままであることが、たとえば領土問題として惹起している。戦後の日中国交回復については、創価学会や公明党が非常に大きな役割を果たした。今日の政権与党の中にあっても公明党は中国・韓国とのパイプが大きい。それでも結果として中韓との関係は思わしくない状況が続いていて、これがまさに戦後七〇年の大きなテーマになっている。韓国との関係で言えば、今年は日韓基本条約締結五〇年にもあたっている。歴史は死んでおらず、今も生きている人を呪縛し続けているわけで、この節目の二〇一五年を始まりとして、相互の間で歴史の呪縛を少しずつ説いていくことが大切だ。そのためにも双方の世論と最高責任者の行動が重要になってくる。李(イ)明博(ミョンバク)大統領がやった国内世論のために日韓関係の卓袱台(ちゃぶだい)をひっくり返すような行動は、歴代大統領の中でも最悪の愚策だったしか言いようがない。一方の日本にあっては、やはり靖国参拝が大きな踏み絵となるだろう。今上天皇でさえ参拝できない状況にあることころに首相が行くというのは、おのずと大きな問題を残してしまう。行くか行かないかは首相が決めることだという言葉自体も、外交カードとしては使わない方がいい。中国の場合はもう少し事情が複雑で、彼等にすれば米国との対等な大国として自由な空間を確保していこうという動きが、周辺諸国からすれば覇権的な膨張に見えてしまう。単純な中国脅威論に走ってもいけない半面、シーレーンや周辺領土に影響力を拡大しようとする動きには、日本として黙認しているわけにはいかない面がある。それでも今の中国は成長と繁栄のために安定した国際的秩序を必要としているはずだ。いずれにせよ、中国との七〇年の節目に新たな関係を構築しようとすれば、日本が靖国参拝に代表される“歴史との向き合い方”について、明確なメッセージを発しないと難しいだろう。それが試される「戦後七〇年」になるのだ。【平和と繁栄の分水嶺に立って】姜尚中著/潮2,015年1月号